カフリンクスをテーマとした、また重要なアイテムとして登場する小説やエッセイを集めてみました。頁をめくると、小さなカフリンクスが担う小さからぬ役割、カフリンクスに向けられた人々の想いなどが見えてきます。文字で綴られたカフリンクスの色や形を想像してみる、そんな楽しみもあるのです。
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(1) ダイヤのカフスボタン
グラント・アレン
「クィーンの定員−傑作短編で読むミステリー史 I 」(1984年) 光文社
著名な富豪ファミリーの周囲には、投資や慈善寄付をもちかけ、何とか富を引き出そうとする怪しげな輩が徘徊(お金をもつことで背負う苦労もあるのですね)。避暑地スイスに滞在しても、胡散臭い人物に付きまとわれ、うんざりしているところ、新婚旅行中の若い牧師夫妻と知り合います。富豪にとっては、お金に執着しない純朴な牧師夫妻の人柄が実に新鮮で好ましく、親しくつきあうようになるのです。
ある晩餐のこと、牧師の袖に光るダイヤモンドのカフリンクスが富豪夫妻の眼にとまります。これは安物の人造ダイヤではあるけれど、祖父がインドから持ち帰った思い出の品で大切にしていると話す牧師。しかし、宝石の鑑定眼をもつ富豪と富豪夫人は、その2粒が紛れもなく本物、しかも、夫人が所蔵するダイヤのネックレスの失われたピースであることを確信します。そして、牧師が事実を知らないのにつけこみ、人造ダイヤとしては破格、本来の価値からすればまったく安い金額を示し、ダイヤを譲ってほしいと牧師に頼みます(う〜ん、お金持ちほど吝嗇ですね)。
私にとってはかけがえのない物だからと、ダイヤを譲らないまま牧師は急遽、親類の急病のためパリへ。どうしても諦められない富豪夫妻は、ファミリーの一員をパリに送り込み、さらに金額を上乗せして、旅程が延びて貧窮する牧師夫妻から、ついにダイヤを巻き上げます。しかし、富豪が所蔵しているダイヤのネックレスを取り出すと、そのうち2粒が贋物にすり換えられている。牧師から買い取ったカフリンクスのダイヤは、ネックレスから盗られた本物のダイヤだったのです。
牧師(実は稀代の詐欺師・クレー大佐)の手際が小気味よく、富豪との騙しあいが可笑しい。作中でも、経緯を知った警官が、「いい勝負(daimond cut diamond)」と言って呆れています。
また、この世にお金で買えない物はな〜い!という顛末でも、本物・贋物を越えて、お金に換えがたい価値ある物って、やっぱりあるのだろうと思わせてくれた一編です。
(2) カフスボタン
澁澤龍彦
「澁澤龍彦全集16」(1994年) 河出書房新社
マルキ・ド・サドの翻訳、悪魔的な幻想文学で名高い澁澤龍彦氏のエッセイ。幼少時代の愛玩物、心に残る事象を綴った「玩物草紙」の一遍です
父親の金のカフスボタン。五歳の幼児のお気に入りだったそれは、小さな「空飛ぶ円盤」を2つ重ねたような形。ある夏の午後、寝転んで例のごとくカフスボタンを手の中でもてあそんでいると、あろうことか、それがぽとんと口の中に落ちて、思わずごくりと呑み込んでしまったから大変。
びっくりした母親に連れられて、さっそく近所の医者の門をくぐり、レントゲンの透視をしてもらった。・・・(中略)・・・小さな「空飛ぶ円盤」に似た形をした金のカフスボタンは、あたかもレーダーに捉えられたかのように、蛍光板の上にはっきりとその影を映し出した。
小さな「空飛ぶ円盤」が私の口から体内(一つの小宇宙)に侵入し、一気に体内を通過して、私の肛門から出て行った。
渋澤氏が五歳の当時(昭和8年頃)、空飛ぶ円盤(UFO)はどこにも存在しない観念なので、このSF的イメージは後から思い描いたもの、と書かれています。それでも五歳の幼児にとって、そのカフリンクスは、UFOと結びつけなくても、もちろん本来の用途も関係なく、ただただ心惹かれるオブジェだったのでしょう。
(3) 青いカフスボタン
井上靖
「井上靖全集 第四巻」(1995年) 新潮社
戦国武将や維新の志士・・・。小説や映画のなかで私たちの胸を躍らす「英雄」が、もしも職場の上司だったら、一体どんな感じでしょうか。豪胆にして繊細。自身の信念を貫き、仕事に対して常に精力的。周囲の人間を巻き込み、(その人が信じる)正しき方へと導く人。物事を斜に構えて見る癖があったり、最近、身体だるくてなー、なんて人間にとっては、その真っ直ぐさ加減がまぶしすぎ、近寄られただけで息切れしそうです。
井上靖氏の短編「青いカフスボタン」には、井上氏が新聞社に入社した当時(昭和10年ごろ)の、大先輩である山端虎太の強烈な印象が記されています。
山端虎太は、精力のかたまりのような感じの男だった。二十貫にあまるがっちりした体躯と、それにふさわしい普通の人よりひと回り大きな脂ぎった顔をもっていた。・・・(中略)・・・のそのそと歩き回っている彼の姿が、動物園の檻の中の猛獣のように見えた。
見習記者の私は、入社早々、この人物に怒鳴られる。洗った手を振って乾かしていた私は、「大新聞社の記者になろうとする者が・・・ばか者」と大声で怒鳴られ、真新しいハンカチを渡される。以来、私はこの人物をもっとも警戒し、近づくと身が縮むように感じるのだ。
それでも、山端虎太が号外発行を判断して合図のベルを鳴らす、その時の眼をらんらんと輝かせた顔を好きだと思う。
大抵、そんな時、彼は白い汚れのないワイシャツ一枚の姿で腕をまくり上げていた。そのまくり上げているワイシャツの青いカフスボタンが印象的だった。私には、それが英雄の象徴のように頼もしく見えた。
私は山端虎太から記者の心得をたたき込まれ、彼が停年を迎える直前、社の屋上で出会う。
山端虎太は屋上の西の端に一人で立っていた。白いワイシャツを腕まくりし、彼は大阪の町を睥睨するような感じで、見渡していた。青いカフスボタンが、その時も、私の眼に付いた。
屋上の青いカフスボタンは、大新聞社を退いてもなお英雄であり続ける山端虎太を想わせます。
本編を読んで、今の時代に山端虎太のような英雄(というか豪傑?)と出会い、一度ガツンとやってもらいたい、という妙な願望が湧いてきました。実際合ったら、やっぱり、逃げ出しちゃうかもしれませんが。
(4) 娼婦殺し
アン・ペリー
英社文庫(1999年) 集英社
殺された娼婦のそばには、名を刻したバッジとイニシャル入りカフリンクスが落ちていた。そんな・・・、分り易すぎる〜。犯人がよっぽど間抜けか、誰かに濡れ衣を着せようとしているか、どっちかでしょー、と紹介文を読むなり、つっこみを入れてしまいましたが、勿論こんな簡単なことではミステリーになりません。ブックカバーについてる「登場人物」一覧を睨みつつ、謎の解明、犯人探しを愉しめる正統派推理小説です。
事件の舞台は、1890年、ヴィクトリア朝のロンドン。貧民街の安下宿でエイダという娼婦の他殺死体が見つかった。通常、この手の事件で警察上層部が動くことはないが、現場の遺留品はフィンレイ・フィッツジェイムズなる人物の関与を示している。父親が金融界の大立者であるフィンレイの捜査には慎重な対応が求められ、トーマス・ピット警視がこの事件に乗り出すことになる。
ピット警視がフィンレイの邸を訪ねると、フィンレイとその父親は、犯行を否認し、バッジ、カフリンクスは数年前に失くしたものだと言う。しかし、フィンレイには事件当夜のアリバイがなく、娼婦といざこざを起こした経歴や、いかがわしい場所への出入りが知られている。フィンレイの容疑は濃厚であるが、父親を失脚させる陰謀とも考えられる。 残されたバッジが、フィンレイが10年前に3人の若者と結成したクラブのものだったことから、ピット警部は、フィンレイとともに“相当無茶な遊びをした”かつての仲間たちの消息をたどる。
遺留品のカフリンクスは金のプレート2枚を鎖で繋いだタイプ。持ち主が「紳士」であることを示唆する品物です。紳士と娼婦、社会の上流と底流を相照らした本作品からは、大英帝国の繁栄とともに混沌とした大都市ロンドンの空気を感じることができます。
また、改めて「紳士」とは何かを教えてくれるのも本作品。「それは紳士だったか?」と問いかけるピット警視に、貧民街の親父は毒づきます。「ああ、喋り方と服で紳士かどうか決まるんだったら、紳士だったよ。おれはあんなやつ、2ペンスで売ってくれたって買いやしないけど」言葉や身なりの洗練だけでは「紳士」にあらず。穏やかで礼儀正しく、しかし困難には粘り強く立ち向かうピット警視に、本当の「紳士」を見たのでした。
(5) 父のカフスボタン
山路鎮子
『お母さんの愛「心の学校」』(1999年) PHP研究所
片方を失くすと使えなくなってしまうもの。手袋、靴下、ピアス、イヤリング。カフリンクスもそうですね。しかし、セットの片方が欠け、離れ離れになっても、大切に受け継がれることがあるようです。
『父のカフスボタン』は、敬虔なカトリック信徒で教育家の山路鎮子氏のカフリンクスにまつわる思い出。1952年、終生誓願のためローマに行くこととなった山路氏。当時、終生誓願に本人が受け取る指輪は本人の家庭から贈られたが、戦中の金属提供で家庭には金がない。山地氏が困っていると、母親は美しく出来上がった指輪をもってきた。それは、父が最後まで大切に持っていた金のカフスボタンの一つでつくった指輪だった。
後年、父、母がなくなり、山地氏が兄とともに荷物の整理をしていると、父のカフスボタンが出てきた。菊の御紋章がついた蓋を開け、一つしかないカフスボタンを見て、兄は独り言を言った。「パパが大切にしていらしたのに、いつから一つになってしまったんだろう」と。
山地氏の父上は、長い間、一つ残ったカフスボタンを見ては、娘を想いやったのではないでしょうか。カフスボタンの片方は指輪に姿を変えて、親子の絆を繋いだのだと思います。
(6) 海の友情
阿川尚之
中公新書(2001年) 中央公論新社
元米国海軍仕官で米国防総省日本部長であったジェームズ・アワー氏。本書は、このアワー氏と日本との関わりを軸に、海上自衛隊の創設期からの自衛隊指揮官と米国海軍軍人たちの交流が記されています。
戦後間もない頃、日本海軍を前身として誕生した海上自衛隊と米国海軍は、いわば昨日の敵同士。 そこに友情が芽生えるとは、にわかに信じられませんが・・・。 日本海軍、米国海軍は、ぞれぞれの相手に対し、敵ながら畏敬の念を抱き、それが戦後も脈々と受け継がれたということです。
アワー氏には3つの家宝があります。 1つは日露戦争で戦艦三笠を率いて日本を勝利に導いた東郷平八郎元帥の肖像画。 もう1つは戦艦三笠の甲板の一部。 そして一対のカフスボタン。
このカフスボタンは、昭和天皇が井上成美海軍大将に贈ったもの。アワー氏は、対米戦争に反対し終戦工作にあたった井上成美海軍大将にインタヴューを申し込むが叶わず、それでも井上大将、さらにその夫人の葬儀に参列したところ、遺族の知人を通じてカフスボタンが届けられたのです。アワー氏は由緒あるカフスボタンを譲り受けたことを光栄に思い、国防総省で勲章を授与されるときに、このカフスボタンを身につけたのでした。
(7) プラハの春
春江一也
(1997年) 集英社
誰しも長く大切にしたいと思う贈り物があると思いますが、この物語の主人公、堀江亮介のカフスボタンは、チェコスロヴァキアの激動の日々、そして生涯忘れえぬ恋の記憶を思い起こさせる「一生の宝物」となっています。
1967年の早春、チェコスロヴァキアの日本大使館書記官であった堀江亮介は、プラハ郊外で車が故障して困る母娘を助ける。母娘は東独DDR人。美しい母親カテリーナは、反体制活動家としてチェコに追われ、大学でドイツ語を教えていた。東西冷戦の最中、お互いの立場を慮り、亮介とカテリーナはそれぞれ相手と深く関わるまいとする。 しかし、カテリーナが感謝の印として、亮介にカフスボタンを贈ったのをきっかけに、再び二人は引き寄せられる。チェコは、真に平等な社会主義を求める民主化運動−「プラハの春」が始まろうとしていた。
独裁的な政権を否定する「プラハの春」を、ソ連をはじめとする東欧諸国は反社会主義と断定して弾圧。「プラハの春」のプロパガンダとなるラジオ番組のDJに抜擢され、運動の女神的存在になったカテリーナは暗殺の危険に晒される。
革命と悲恋。ラマティックな恋愛は、彼の「ヴェルサイユのばら」を連想させるものですが、やはり(!)宝塚で舞台化されたそうです。主人公の亮介が贈られたカフスボタンはモーゼル・ガラス製。円形の銀の台座に水色の半球形のガラス細工をはめこんだものと書かれています。モーゼルは実在するガラス工芸品の老舗です。本書を読んで歴史ある美しい街プラハを訪ねてみたいと思いました。
(8) 男を美学(みがく)-カフスボタン手軽に正装らしさ
原由美子
出典:讀賣新聞(2004年1月18日より)
スタイリストの草分け的存在、原由美子氏のカフリンクスについてのエッセイです。原氏に許諾いただき、以下全文をご紹介させていただきます。
大学生になりたてのころ、父からカフスボタンをひとつ譲られた。というより、初めてダブルカフスのシャツを着ることになり、無理にねだったのだ。
一センチ角の真ちゅう製のシンプルなもの。クリップ付きで使いやすく、小さいけれど誇らしかった。
後には父の正装用だった直径二センチはある丸い銀製のものも譲り受けた。ただし急いでいるとつけにくく、日常的にする気にはなれない。
英語ではカフ・リンクスという表現が一般的。カフスボタンという呼び名は、日本独自の表現と言われているが、今はそちらの方がすっかり定着した。
カフスボタンは、例えばブローチやタイピンのように、つける位置に迷うことはない。自分で初めてつけてみて、実用品であるにもかかわらず、おしゃれにみえる得難いアクセサリーだと実感した。
女よりワイシャツを着る機会が圧倒的に多い男の人たちだが、カフスボタン愛好者は、そう多くないようだ。余裕があるならカフスボタンが使えるシャツを選び、ぜひ試してみてほしい。男ならではのアクセサリーなのだから。
今年の正月、テレビでウィーンフィルのニューイヤーコンサートを見ていた時、オーボエ奏者の手元がアップになり、カフスボタンがちらっと映った。
指揮者のリッカルド・ムーティーはえんび服ではなく、黒のダブル。演奏者たちも黒の上着にグレーのズボンで、例年よりカジュアルな装いのコンサートだった。
ただしネクタイの色や柄、ベストなどで各自が正装らしさを出す。そんな中、カフスボタンが印象的だった。
